皆さま、こんばんは。
「AIとわたしの音楽帖」、今日は少し考えごとが多めのお話です。
今夜のRadio441でお話ししたコラムを、こうして文章としても残しておきたくなりました。
理由はひとつ。
音楽生成AIをめぐる議論が、いま、とても静かで、そしてとても重要だからです。
AIが暴いてしまった「創作の本質」
2026年現在、音楽生成AIはすでに珍しい存在ではありません。
けれど最近、少し質の違う話題が出てきました。
それが、AI生成楽曲のアトリビューション技術。
生成された曲が、どの過去楽曲の影響を、どれくらい受けているかを、パーセントで可視化する仕組みです。
一見すると、これは著作権問題を整理するための「便利な道具」に思えます。
でも、よく見ていくと、この技術はAIだけでなく、人間の創作そのものの限界を、静かに照らし出してしまうのです。
音楽は、本当にオリジナルなのでしょうか。
そして、ヒット曲の価値は、誰のものなのでしょうか。
人間の創作も「つなぎ合わせ」だった
たとえば、ベートーヴェンの「エリーゼのために」。
このモチーフをもとに曲を作れば、AIは高い割合でベートーヴェンの影響を検出します。
でも同時に、Nasの「I Can」や、Red Velvetの「BYE BYE」といった、まったく意識していなかったはずの楽曲との類似性まで指摘されることがあります。
ここで問題なのは、AIの精度ではありません。
人間の創作も、同じ構造を持っているという事実です。
The Venusの「キッスは目にして」、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」。
どちらも「エリーゼのために」のモチーフを借りています。
こうした連鎖は、音楽史の中に無数に存在します。
私たちの脳は、子守唄、CMソング、街で流れていたBGMの断片を無意識に蓄え、それをつなぎ直して創作します。
スティーブ・ジョブズの言葉を借りるなら、
「創造性とは、ただつなげること」。
完全なオリジナルというものは、もともと幻想なのかもしれません。
AI排除は、誰のためなのか
一方で、AI音楽を排除する動きは、世界各地で強まっています。
Bandcampの全面禁止。
iHeartRadioの「Guaranteed Human」ポリシー。
スウェーデン公式チャートからのAI楽曲除外。
そこにあるのは、「人間らしさ」を守りたいという感情です。
でも、少しだけ冷静に考えてみたいのです。
ポピュラー音楽の価値は、
スキップされず、何度も聴きたいと思われること。
ヒットチャートは、本来リスナーの選択を映す鏡のはずです。
スウェーデンのAI楽曲
「Jag vet, du är inte min」
は、Spotifyで500万回以上再生されました。
それでも公式チャートからは除外されました。
これは、
聴きたい曲を排除し、聴きたくない曲を押しつける
行為になっていないでしょうか。
私は、そこにリスナーの権利の軽視を感じてしまいます。
「AIは洪水を起こす」は本当?
「AIが低品質な曲を大量に生み、人間の曲を埋もれさせる」という批判もあります。
でも、Deezerのデータを見ると、
毎日5万曲のAI楽曲がアップロードされても、実際の再生数は全体の0.5%程度。
低品質なものは、AIでも人間でも、自然と聴かれなくなる。
これは、昔から変わらない現実です。
無名のAI楽曲がチャートに現れるとしたら、それは単純に
良くて、何度も聴かれているから。
人間の低品質な楽曲が溢れている現実を無視して、AIだけを問題視するのは、少し不公平に感じます。
新しい波としての「AI Wave」
私たちは今年から、もう一歩踏み込んだ考え方を提案しています。
それは、AI音楽を排除するのではなく、
新しいジャンルとして明確に位置づけること。
80年代のニューウェーブが、電子楽器と実験性でポップスを更新したように。
生成技術を基盤にした新しい波――
私たちはこれを 「AI Wave」 と呼びたいと思っています。
AIを脅威として扱うのではなく、
新しい表現の潮流として迎え入れる。
そうすれば、業界も、リスナーも、きっと新しい音楽の楽しみ方に出会えるはずです。
誰が作ったかより、何度聴きたいか
アトリビューションは、創作の幻想を暴き。
AI排除は、リスナーの選択を狭める。
2026年の音楽界に必要なのは、
人間かAIか、という二択ではなく、そのバランスです。
結局、良い音楽とは、
記憶の断片をつなぎ、何度も聴きたくなるもの。
誰が作ったかよりも、
それが音楽として残るかどうか。
静かな今こそ、次の波が生まれる前触れなのかもしれませんね。